20年ちかくオールシーズンで使っているDURALEXのグラス。内側でなく外側をていねいに磨いたら見ちがえるほどきれいになった。実用的で気どりのないこのグラスは、ふだん使いの器として実に頼もしい。AXIS FontとTP明朝に求めた役割もそれに近い。
杉浦康平さんの記念講演を聴くため東京工芸大学へ。「対をなすカタチ」を主題に、日本とアジアを結ぶかたちの数々を巡る一時間あまりの講演会は、中国語と韓国語の同時通訳つきで行なわれた。アジアの図像を読み解いたその先に、杉浦さんが目指すところ、これからのデザインに期待することは何かというお話を伺ってみたかったが、質疑応答の時間はなかった。
この四半世紀の杉浦さんの活動を鑑みれば、デザインの範疇を超えた地平で、アジアの図像に文化人類学的なつながりを見いだすことを使命と考えておられるのだと勝手に想像している。記念講演の元になっている展覧会のタイトルは「ANDB 2014 東京展」。ANDBは「アジア・ネットワーク・ビヨンド・デザイン」の略である。事実、杉浦さんが長い時間をかけて、アジア各地のデザイナーと親交を深めてきたことは『アジアの本・文字・デザイン』を一読すれば了解できる。
そういえば、今回のレクチャーでもっとも時間をかけて解説されたのが、東西横綱の土俵入り動画だった。雲竜型に朝青龍、不知火型に白鳳。日本の国技にモンゴル人の両横綱という構図は、おそらく杉浦さん好みでもあるだろう。雲竜の結び輪は亀をかたどり、不知火の結び輪は鶴をかたどっているという杉浦さんの仮説は、日本相撲協会にまだ認められていないそうだ。
実を言えば私は、杉浦さんが図像の読み解きで得た成果をどのように本と講演以外のかたちで見せてくれるのか待ちわびてきた者である。しかし、日本の風土で培われた多様な文化資源を、これからのデザインにどう活かしていくのか、世界にどう提示していくのか問われているのは、むしろ我々のほうなのかもしれない。
昨晩は元職場の先輩方と恵比寿で食事をご一緒した。年にいちどの集まり。みなさんお元気そうで何より。午前中は漢字制作、午後から仮名の調整作業に集中。
平仮名デザインへのフィードバックを受けて微妙な調整をくり返す。作り手と使い手の気合いみなぎるラリーの応酬。愛と執念。
修正した平仮名のデザインを確認してもらうために、簡単な資料をつくって先方に送付。別の案件で、和文と欧文のバランスを比較検討してもらうための資料づくり。さらに別件で、問い合わせに回答するための質問メールを書く。それらが一段落したところで、担当書体の漢字制作。夕方近くになって先方から仮名デザインへのフィードバックがあり、細かなニュアンスを電話で確認したあと調整作業に入る。
めずらしく午前中に外出。収穫の多い取材に同行できて良かった。午後から仮名の修正作業。年内に進められるだけ進めておく。気を抜きやすい性格でなければ、アドバンテージはつねに有効。
仮名の修正と漢字の制作を進めつつ、新人ふたりのデザインチェックと修正指示をおこなう。見るべきところを伝え、手直しされた文字に修正の意図が反映されているかどうか確認する。次に同様の箇所でつまずかなければ、チェックポイントのひとつを理解したものと考える。ささやかな伝授。そのくり返し。
衆議院選挙の投票日。四年前まで息子が通っていた小学校は、見違えるほどきれいになっていた。子供が大人になったときに希望を持って暮らせる国であることを願って票を投じる。腹立たしいのは、その願いが叶わない将来を念頭に日々息子と接しなければいけないことである。それにしてもずいぶん長い時間をかけて骨抜きの人間と底なしの社会をつくってきたものだ。
濁点つき仮名の修正作業。試作フォントの印字サンプルが私の机に置いてあったので、自宅に持ち帰ってじっくり見る。さまざまな角度でフォントの性質を検証するために、文章の種類や文字の大きさなど、サンプルのバリエーションは多いほど良い。
書体デザインにおけるさりげない改善を、たしかな手ごたえとして感じうる人たちと仕事ができるのは幸せなことである。書体デザイナーは当然として、ユーザーやクライアントのなかでその感覚を共有できる人がどれだけいるかが、フォントメーカーおよび関連産業の将来、そして書体の将来を左右する。さらに言えば風景も変わるのだけど、それは都市フォントの文脈で説明したほうが分かりやすいだろう。頼るべきは腕、絞るべきは知恵、である。