大晦日の東京。午前中にふわりと雪が舞ってすぐに止んだ。昼は妻が揚げてくれたかき揚げをのせて年越し蕎麦。午後にも雪まじりのみぞれが少々。ボタン海老とエビスで乾杯。すき焼きで一年を締め括る。
池袋三省堂で『ブレーン』特別編集号「地域を変える、アイデアとクリエイティブ」を購入。ふだんの週末より人は少ないが、年の瀬のサンシャイン通りはかなりのにぎわい。昨年会社を立ち上げた大学の同級生と会食。
腕立て伏せとスペアリブのセット。肉と骨と野性。
昼は家族で近所のカレー屋へ。私はチキンと里芋のカレーを注文した。ここのナンは大きいだけでなくほのかな甘さが本格カレーと濃厚ラッシーによく合う。午後から自宅の大掃除。本は先週片付けたので楽チンすっきり。
フォントデザインの潮流〜後編(2000-2017)
昨晩エントリーした前編では、日本のフォントデザインに影響を与えた出来事を中心に、1985年から2000年ごろまでの流れをデザイナーの視点で書いてみた。技術視点で書けばまったく違う景色になるだろう。2000年以降に入る本編は、ビジネス寄りの視点になる。なぜなら、私がタイププロジェクトを立ち上げ、ビジネスの波に揉まれた時期だからである。便宜上、個人的な話から入ることをお許しいただきたい。
前職で7年間、日本語フォントの開発に携わり、2000年に会社を辞した。今にして思えば若気の至りというべき無謀な行動だったが、AXIS Fontのプロジェクトを本格的に進めるにはそれしかないと思い込んでいた。幸いにしてAXIS Fontは、当初の計画どおりAXIS誌のリニューアル号に採用され、2年のエクスクルーシブ期間(専用フォント期間)を経たのち、2003年から一般販売されることになった。最初の売上予測は、10年かけて開発費を回収するという悠長なものだった。
フォントラッシュ
2000年のフォント業界は、ヒラギノフォントがMacOS Xにバンドルされたというニュース(いわゆるヒラギノショック)で幕を開けた。そんななか、日本のフォントメーカー各社は、OS X用の組版ソフトのリリースに合わせ、OpenTypeフォントの開発を急ピッチで進めていた。体力のある会社が、新しい書体をつくることより文字数を増やす仕事を優先したのは理に適っている。
OpenTypeというフォントフォーマットの大きな転換期にあたるこの時期、上記のような事情もあり、リリースされた書体は少ない。しかし、かえってこういう時期にこそ長く使われる書体はつくられるのかもしれない。小塚明朝(1997年)、丸明オールド(2001年)、游明朝(2002年)、AXIS Font(2003年)、筑紫明朝(2004年)など、10数年を経た今も広く使われている書体群が、この時期にひっそりと生まれていたことは記憶しておいてもいいだろう。
スローペースだった新書体発表のニュースは、2002年にフォントワークスが年間フォントライセンス「LETS」を開始したことを受け、モリサワが2005年に「MORISAWA PASSPORT」を開始したあたりから、リリースされるフォントの数が急激に増え、現在はフォントラッシュのさなかにある。
文字ブーム?
フォントが日常生活に欠かせないものになり、手で文字を書く機会、手で書いた文字を目にする機会が減るにつれ、手書き文字に魅力を感じる人が増えた。とくにものづくりにたずさわる人たちに手書き文字の愛好者が多い。町なかの看板文字や鉄道文字を愛でる人の姿もここ数年で目立って多くなってきた。美大生と話をしていても、レトロな文字への関心が高まっていることを実感する。レタリング文字の素朴な味わいに新鮮な表情を感じとっているのだ。
現在の文字ブームは、期間の長さとすそ野の広さにおいて過去の例をしのいでいる。相次いで刊行される文字関連本に食傷気味の人がいる一方、フォントに関心をもつ層がデザイナーから非デザイナーへと広がったことで、文字に興味をもつ人の数は増えているはずだ。2010年ごろにはもうブーム的な空気があったので、かれこれ8年くらい続いていることになる。3年前にそろそろピークかなと思っていた私の予想はみごとにはずれた。
勘のいい人は、文字とフォントが区別されていないことにお気づきかと思う。その通りである。前編の冒頭に書いた私の期待、つまり文字ブームをフォント購入層の拡大と短絡的に結びつけていた自分の認識の甘さもここに発している。フォントが日常生活に浸透し、手書き文字が日常から遠のきつつあることが文字ブームの背景にあるとすれば、それはブームというより心理的・文化的な欲求と考えたほうが適切で、今後も一定数を確保しながら拡大していく可能性は十分にある。
2017年9月、タイプバンクの社名が消えた。1970年代に一世を風靡したタイポスをはじめ、多くの名書体を生み出してきたフォントメーカーである。ちなみにタイポスは、日本の書体デザイン史上唯一ブームと呼べる現象を起こしたエポックメイキングな書体でもある。10年ほど前に欧米で大規模なフォントメーカーの統廃合が起こり、少し遅れて日本でも同様の事態が起きた。波はすぐにおさまり、ここ数年は穏やかな状態を保っていた。そんななか、最近のAIブームで発生した大風によって、また次の波が到来する気配が濃厚になりつつある。
文字ブームを見誤った私の感想なので説得力に欠けるかもしれないが、少なくとも波にそなえる準備は必要であろう。地味で目立たない業界といえども、激しさを増すビジネスの潮流から逃れることはできない。優秀なフォントメーカーが巨大な渦に飲み込まれたり、白旗を上げるのを見たくないし、もちろんタイププロジェクトとてそうなりたくはない。
文字ブームからヒントを得てフォントに活かすような取り組みは積極的にやったほうがいい。しかしフォントメーカーとしてやるべきこと、とりわけフォント専業のメーカーが何をすべきなのかを見失ってはいけない。会社のあり方は会社の数だけありえよう。だが、フォントが社会にどう貢献できるのか、どういう文字が必要とされるのかは共通の課題といえるだろう。慌ててもしかたないが、うずくまっていてはいけない。
追記:その1
20代のころ私が好んで買っていた雑誌はイギリスのeye誌である。創刊から25年、いまだ刊行中(Twitterのフォロワー数は76万人!)。新たな分野が望ましい発展を遂げるには、中立性と批評性に富んだジャーナルの存在が不可欠だが、私の目にそう映っていたのがeye誌である。このエントリーに興味を持たれた方は、eye誌2号(1992年)の記事「The digital wave」を合わせて読まれると良いだろう。
追記:その2
本文用書体の継承と発展をうながす場として文字塾がある。今年7年目を迎えた文字塾の今後に注目したい。前編の冒頭に登場した若手書体デザイナー2人は文字塾の出身である。
追記:その3
「2017年1月、タイプバンクの社名が消えた」と書きましたが、「2017年9月、タイプバンクの社名が消えた」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。(2018年1月5日)
フォントデザインの潮流〜前編(1985-2000)
文字ブームが来たらフォントメーカーの追い風になるのに。そんな淡い期待を抱いていたのは10年前のこと。いまや文字ブームまっ盛りである。一方、フォントメーカーが追い風にのっている気配はない。先日、若い書体デザイナーとお昼を食べていたとき、 20年前にもフォントブームがあってねという話をしたら、2人とも聞いたことがないというので、この30年のフォントデザインのあらましを書いてみようと考えた次第である。年末にむけて、日本語フォントの来し方と行く末に思いを巡らせるのもいいだろう。
ネヴィル・ブロディのグラフィック
1980年代半ば、世界の注目を集めたデザイナーがいる。イギリスのネヴィル・ブロディだ。ファッション雑誌『THE FACE』のアートディレクターをつとめたブロディは、一躍時代の寵児となり、大胆な文字づかいで若いデザイナーの心をつかんだ。1990年にパルコで展覧会をみた私も彼のグラフィックに目を見はった1人である。古代の漢字に通じる図象の匂いを嗅ぎとった人も多いはずだ。ブロディはまた、1990代初頭に『FUSE』という実験的な媒体を立ち上げ、デジタルフォントを流通にのせた最初期のデザイナーでもある。
エミグレ・フォント
1985年、自作のフォントと大判雑誌を引っさげて登場したのがEmigreである。デジタルフォントの到来を告げる喜びが誌面に溢れていた。Emigreを立ち上げたズザーナ・リッコとルディ・バンダーランス、この2人が最初のフォントブームの立役者だったことは間違いない。40代50代の書体デザイナーに何から影響を受けたのか尋ねれば、Emigreの名前をあげる人は少なくないだろう。影響の範囲でいえば、作品集12万部を売ったブロディが圧倒しているが、フォントデザインの道を選ばせる力がEmigreにはあった。
フォントグラファーとインターネット
1990年代半ば、日本に最初のフォントブームが訪れた。Fontographerというフォント制作ソフトが日本で販売されたことに端を発する。Fontographerを使ってフォントを作成し、インターネットで公開するという流れが急速に広まった。その多くはカタカナかアルファベットのフォントだったが、フリーもしくは安価であることから多くのファンを獲得した。デザイン雑誌で特集が組まれることもたびたびあり、原宿のショップでフォントの展示即売会が開かれるほどの盛り上がりを見せた。
日本語フォントとタイポグラフィのうねり
90年代半ば前後から、文字と組版にコアな関心を寄せる人たちの動きがにわかに活発化した。府川充男さん、小宮山博史さん、前田年昭さん、鈴木一誌さんなどを中心とした「日本語の文字と組版を考える会」。嘉瑞工房の高岡昌生さんを始め、小林章さんと立野竜一さんが運営を担った「欧文組版研究会」。朗文堂の片塩二郎さんを中心に、白井敬尚さん、河野三男さん、山本太郎さんたちによるタイポグラフィの研究活動など、3つの動きが同時多発的に起こり、大きなうねりとなった。
いずれの活動も形を変えながら継続している。ブームのくくりで捉えられるものではないが、いまある日本語フォントの重要な成果のいくつかは、これらの活動によって受粉したものであることは指摘しておきたい。
しばらくさぼっていた腕立て伏せをやったら筋力の低下が半端ない。ビールで乾杯して、クリスマス恒例の手巻き寿司を楽しむ。食後のコーヒーとマロンケーキで完璧。
自宅の本を片付け散髪に出る。それでも年末感が訪れる気配はない。
そうめんをあたためて食う師走かな 茶門
日本語フォントのカスタム化は、簡単そうにみえて実はかなり面倒というケースが多い。受注経験のあるフォントメーカーはそのことを知っているのであまりやりたがらない。安請け合いすると後がたいへんだから。