フォントデザインの潮流〜後編(2000-2017)
昨晩エントリーした前編では、日本のフォントデザインに影響を与えた出来事を中心に、1985年から2000年ごろまでの流れをデザイナーの視点で書いてみた。技術視点で書けばまったく違う景色になるだろう。2000年以降に入る本編は、ビジネス寄りの視点になる。なぜなら、私がタイププロジェクトを立ち上げ、ビジネスの波に揉まれた時期だからである。便宜上、個人的な話から入ることをお許しいただきたい。
前職で7年間、日本語フォントの開発に携わり、2000年に会社を辞した。今にして思えば若気の至りというべき無謀な行動だったが、AXIS Fontのプロジェクトを本格的に進めるにはそれしかないと思い込んでいた。幸いにしてAXIS Fontは、当初の計画どおりAXIS誌のリニューアル号に採用され、2年のエクスクルーシブ期間(専用フォント期間)を経たのち、2003年から一般販売されることになった。最初の売上予測は、10年かけて開発費を回収するという悠長なものだった。
フォントラッシュ
2000年のフォント業界は、ヒラギノフォントがMacOS Xにバンドルされたというニュース(いわゆるヒラギノショック)で幕を開けた。そんななか、日本のフォントメーカー各社は、OS X用の組版ソフトのリリースに合わせ、OpenTypeフォントの開発を急ピッチで進めていた。体力のある会社が、新しい書体をつくることより文字数を増やす仕事を優先したのは理に適っている。
OpenTypeというフォントフォーマットの大きな転換期にあたるこの時期、上記のような事情もあり、リリースされた書体は少ない。しかし、かえってこういう時期にこそ長く使われる書体はつくられるのかもしれない。小塚明朝(1997年)、丸明オールド(2001年)、游明朝(2002年)、AXIS Font(2003年)、筑紫明朝(2004年)など、10数年を経た今も広く使われている書体群が、この時期にひっそりと生まれていたことは記憶しておいてもいいだろう。
スローペースだった新書体発表のニュースは、2002年にフォントワークスが年間フォントライセンス「LETS」を開始したことを受け、モリサワが2005年に「MORISAWA PASSPORT」を開始したあたりから、リリースされるフォントの数が急激に増え、現在はフォントラッシュのさなかにある。
文字ブーム?
フォントが日常生活に欠かせないものになり、手で文字を書く機会、手で書いた文字を目にする機会が減るにつれ、手書き文字に魅力を感じる人が増えた。とくにものづくりにたずさわる人たちに手書き文字の愛好者が多い。町なかの看板文字や鉄道文字を愛でる人の姿もここ数年で目立って多くなってきた。美大生と話をしていても、レトロな文字への関心が高まっていることを実感する。レタリング文字の素朴な味わいに新鮮な表情を感じとっているのだ。
現在の文字ブームは、期間の長さとすそ野の広さにおいて過去の例をしのいでいる。相次いで刊行される文字関連本に食傷気味の人がいる一方、フォントに関心をもつ層がデザイナーから非デザイナーへと広がったことで、文字に興味をもつ人の数は増えているはずだ。2010年ごろにはもうブーム的な空気があったので、かれこれ8年くらい続いていることになる。3年前にそろそろピークかなと思っていた私の予想はみごとにはずれた。
勘のいい人は、文字とフォントが区別されていないことにお気づきかと思う。その通りである。前編の冒頭に書いた私の期待、つまり文字ブームをフォント購入層の拡大と短絡的に結びつけていた自分の認識の甘さもここに発している。フォントが日常生活に浸透し、手書き文字が日常から遠のきつつあることが文字ブームの背景にあるとすれば、それはブームというより心理的・文化的な欲求と考えたほうが適切で、今後も一定数を確保しながら拡大していく可能性は十分にある。
2017年9月、タイプバンクの社名が消えた。1970年代に一世を風靡したタイポスをはじめ、多くの名書体を生み出してきたフォントメーカーである。ちなみにタイポスは、日本の書体デザイン史上唯一ブームと呼べる現象を起こしたエポックメイキングな書体でもある。10年ほど前に欧米で大規模なフォントメーカーの統廃合が起こり、少し遅れて日本でも同様の事態が起きた。波はすぐにおさまり、ここ数年は穏やかな状態を保っていた。そんななか、最近のAIブームで発生した大風によって、また次の波が到来する気配が濃厚になりつつある。
文字ブームを見誤った私の感想なので説得力に欠けるかもしれないが、少なくとも波にそなえる準備は必要であろう。地味で目立たない業界といえども、激しさを増すビジネスの潮流から逃れることはできない。優秀なフォントメーカーが巨大な渦に飲み込まれたり、白旗を上げるのを見たくないし、もちろんタイププロジェクトとてそうなりたくはない。
文字ブームからヒントを得てフォントに活かすような取り組みは積極的にやったほうがいい。しかしフォントメーカーとしてやるべきこと、とりわけフォント専業のメーカーが何をすべきなのかを見失ってはいけない。会社のあり方は会社の数だけありえよう。だが、フォントが社会にどう貢献できるのか、どういう文字が必要とされるのかは共通の課題といえるだろう。慌ててもしかたないが、うずくまっていてはいけない。
追記:その1
20代のころ私が好んで買っていた雑誌はイギリスのeye誌である。創刊から25年、いまだ刊行中(Twitterのフォロワー数は76万人!)。新たな分野が望ましい発展を遂げるには、中立性と批評性に富んだジャーナルの存在が不可欠だが、私の目にそう映っていたのがeye誌である。このエントリーに興味を持たれた方は、eye誌2号(1992年)の記事「The digital wave」を合わせて読まれると良いだろう。
追記:その2
本文用書体の継承と発展をうながす場として文字塾がある。今年7年目を迎えた文字塾の今後に注目したい。前編の冒頭に登場した若手書体デザイナー2人は文字塾の出身である。
追記:その3
「2017年1月、タイプバンクの社名が消えた」と書きましたが、「2017年9月、タイプバンクの社名が消えた」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。(2018年1月5日)