長らく保留になっている書体に本腰を入れたいところだが、輻輳した状況からなかなか抜け出せない。単に放置しておいたわけではないので、もう一段上のところまで手を伸ばせるはず。この焦がれるような感覚こそが、私を未知の書体へと駆り立てる初心なのかもしれない。

武蔵美の授業が終わったあと名古屋に直行。日帰りの打ち合わせが偶然誕生日に重なった。故郷で誕生日を迎えるのは何十年ぶりだろう。時間足らずで実家にも立ち寄れず、親不孝な思いを抱えながら最終電車に乗って東京に戻る。

しばらく空白期間があった開発中フォント。デザインの感覚はすぐ取り戻せたのだが、作業過程の詳細を忘れてしまい、都度つど担当デザイナーに助け舟を出してもらってようやく記憶がよみがえってきたところ。漕ぎかたを忘れるような制作方法は、めざしている身体化にはほど遠い。

昨年から日本文化をしつこく追いかけてきて、デザインが抱えている問題の所在と解決の道筋がおぼろげながら見えてきた。これを時代の潮流へと結びつけ、経済として成り立たせるにはかなりの困難が予想される。

息子に試作書体の案を見せて、どれが好みか聞かせてもらう。意外な結果となるほどな視点。専門家の見かたに偏りがあるかもしれないと畏れる気持ちはやはり必要だと思う。

Drop&Typeの今後の方向性について検討する。考え方しだいでは面白いことができそうだ。新人につくってもらった資料を見ながら開発中書体のファミリー展開を考える。文字の骨格をしっかり作っておくと多少の自動変形にも耐えうるので、実験素材として非常に頼もしい。

内製ツールをつかって開発中フォントのファミリー展開をテストする。以前、同様の実験を手作業で行なったことがあるのだが、そのときよりずっと好い感触を得た。柔軟な道具によって充実した実験をおこなうことが可能になり、そのことによって結果の受けとめかたが異なるという事実は示唆に富む。

二人のエンジニアとやりとりをしたあと自己確認したのは、フィットフォントもDrop&Typeも、デジタルフォントならではの書体づくりと文字体験を共有したいという想いがベースにあること。文字に対する無関心。この厚い壁をどうやったら破ることができるのか。

武蔵美の授業初日。オリエンテーションと自己紹介、書体史の講義とMacの演習をおこなう。学生同士もまだお互いをよく知らないため、持参してもらった漫画・雑誌・小説を紹介するコーナーがよく機能している。Macの演習でも、できるかぎり隣り近所で助け合うよう促す。会社に戻って漢字制作。定例ミーティングのあと、新書体の開発にまつわる技術的な打ち合わせを二つ。

明日から武蔵美の授業が始まる。5年目になるというのに、いまだに講義の内容と課題の進め方を模索している。考えようによっては、改善の余地があるおかげで緊張感が失われず、迷いながらも講師を続けていられるのかもしれない。

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