きょうは銀座で、テクノロジーとファッションと文化のエッセンスをたて続けに浴びてきた。アップルとディオールと織部。新しい時代のスタイルを提示しえた、アメリカとフランスと日本の代表的存在と言えよう。
まずはアップルストアにMacBookを持ち込んで修理の依頼。すごい人の数だ。開放的なアップルストアとは対照的に、おとなりのディオールは、にじり口のような狭い入り口に黒い布がかけられていて、そこをくぐるとディオールの世界に包まれるという趣向である。店内の熱気と人口密度はアップルストア以上だ。向かいの松屋銀座に入って、きょうから始まった「古田織部展」を観る。茶器に注ぐ視線の熱さはディオールに勝るとも劣らない。
客層の違いはあきらかだった。アップルは20代30代が中心で、性別問わず多国籍。ディオールは9割5分が女性で、年齢層は10代から60代までと幅広く、アジアもしくは欧米の人たちの姿も見うけられた。織部展はかなり年齢層が高く、来客のほぼすべてが日本人だったと思う。織部をまとめて観るのはこれが初めてだが、とにかく見飽きない。大胆な意匠と胸のすくような茶碗の面取り。ひょうげたかたちはそれらを活かす土台なのだろう。
カリフォルニアの禅とパリの綺麗さびと美濃のへうげもの。アップルもディオールも織部も、物と物語性に対する憧れが、人を惹きつけてやまない要素になっているが、実用性と自己投影度における織部のそれは、あまりに隔たりが大きく、共感を呼ぶ余地がほとんどない。実際のところ、いかした茶碗でおいしいお茶を飲める場所が飛躍的に増えなければ、アップルやディオールの経済性とは比べようもない。なぜ日本文化を資源に、スタバやサードウェーブのような動きが出てこないのか。