フォントデザインの潮流〜前編(1985-2000)

文字ブームが来たらフォントメーカーの追い風になるのに。そんな淡い期待を抱いていたのは10年前のこと。いまや文字ブームまっ盛りである。一方、フォントメーカーが追い風にのっている気配はない。先日、若い書体デザイナーとお昼を食べていたとき、 20年前にもフォントブームがあってねという話をしたら、2人とも聞いたことがないというので、この30年のフォントデザインのあらましを書いてみようと考えた次第である。年末にむけて、日本語フォントの来し方と行く末に思いを巡らせるのもいいだろう。

ネヴィル・ブロディのグラフィック

1980年代半ば、世界の注目を集めたデザイナーがいる。イギリスのネヴィル・ブロディだ。ファッション雑誌『THE FACE』のアートディレクターをつとめたブロディは、一躍時代の寵児となり、大胆な文字づかいで若いデザイナーの心をつかんだ。1990年にパルコで展覧会をみた私も彼のグラフィックに目を見はった1人である。古代の漢字に通じる図象の匂いを嗅ぎとった人も多いはずだ。ブロディはまた、1990代初頭に『FUSE』という実験的な媒体を立ち上げ、デジタルフォントを流通にのせた最初期のデザイナーでもある。

エミグレ・フォント

1985年、自作のフォントと大判雑誌を引っさげて登場したのがEmigreである。デジタルフォントの到来を告げる喜びが誌面に溢れていた。Emigreを立ち上げたズザーナ・リッコとルディ・バンダーランス、この2人が最初のフォントブームの立役者だったことは間違いない。40代50代の書体デザイナーに何から影響を受けたのか尋ねれば、Emigreの名前をあげる人は少なくないだろう。影響の範囲でいえば、作品集12万部を売ったブロディが圧倒しているが、フォントデザインの道を選ばせる力がEmigreにはあった。

フォントグラファーとインターネット

1990年代半ば、日本に最初のフォントブームが訪れた。Fontographerというフォント制作ソフトが日本で販売されたことに端を発する。Fontographerを使ってフォントを作成し、インターネットで公開するという流れが急速に広まった。その多くはカタカナかアルファベットのフォントだったが、フリーもしくは安価であることから多くのファンを獲得した。デザイン雑誌で特集が組まれることもたびたびあり、原宿のショップでフォントの展示即売会が開かれるほどの盛り上がりを見せた。

日本語フォントとタイポグラフィのうねり

90年代半ば前後から、文字と組版にコアな関心を寄せる人たちの動きがにわかに活発化した。府川充男さん、小宮山博史さん、前田年昭さん、鈴木一誌さんなどを中心とした「日本語の文字と組版を考える会」。嘉瑞工房の高岡昌生さんを始め、小林章さんと立野竜一さんが運営を担った「欧文組版研究会」。朗文堂の片塩二郎さんを中心に、白井敬尚さん、河野三男さん、山本太郎さんたちによるタイポグラフィの研究活動など、3つの動きが同時多発的に起こり、大きなうねりとなった。

いずれの活動も形を変えながら継続している。ブームのくくりで捉えられるものではないが、いまある日本語フォントの重要な成果のいくつかは、これらの活動によって受粉したものであることは指摘しておきたい。

明日の後編に続く。3年前に書いた関連テキストはこちら