『MdN』漫画タイポグラフィ表現論の号で、動的タイポグラフィが広く普及しないのはなぜだろうという問いに、「文字にはじっとしていてほしいんですかね」と自答した。あれからつらつら考えて思い当たるのは、基本的に読むという行為の主体は読み手だということである。そして、思考自体が動き回るものだということ。実際のところ、文字を主体とし、受け手が思考を働かせなくてもよい状況では、動的なタイポグラフィはひとつの表現として受け入れられているように見える。実際そのような空間で文字はよく動いている。これは皮肉とか批判的な言辞ではなく、文字の役割について考える手がかりとしてここに書きおいた。動的な文字が、静的な文字とは異なる思考方法を促すことはじゅうぶんにあり得るだろうと私は考えている。