2010年代の東京で書体をつくっていることの意味をときどき考える。時代と場所と巡りあわせについて考える。そこで見い出した意味に強い必然性と意義が感じられるならば、それは実現するに値すると考える。個と全が融即するとき、つくり手はもっとも自由になる。