作業内容が見えはじめてきた次の仕事をスケジュールに落とし込んでいく。外部案件と自主開発の重み的な釣合いが取れていて、日程的にも空きすぎず重なりすぎずの感じ。欧文デザインの確認と修正指示、和文サンプルシートへの赤入れと研ぎ磨き。

読む人によって『編集王』のクライマックス場面は異なると思うが、わたしは『春と修羅』を引用したシーンに震えた。自分が関わっている学校の卒業制作を観た直後だったせいもある。以下その一節。

 

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ

午前中に用事を済ませ、同期生の夫婦と栄で昼食をとる。話題は、子供の成長ぶりからイギリスの芸大が直面している問題のことまで色々。午後から愛知芸術文化センターで愛知芸大卒業制作展の講評会。絵画表現の技倆が年々上がっているのだが、その一因を知ってすこし心配になった。

午前中はひらがなの微調整。午後から販売に関する打ち合わせ。おみやげに和菓子をいただいたので、角さんに抹茶を点ててもらって楽茶碗で飲む。即興的な茶振る舞いは実にいい。夕方武蔵美の先生方との食事会があり、夜に名古屋入り。

イベント開始まで参加者の人数が分からないので少々不安だったが、ふたを開けてみたら盛況で、トーク終了後の質問もたくさん出た。対談相手として色部さんから指名していただいた身としてはひと安心である。いつもより男性のお客さんが多かったですという主催者の感想を聞く。前列まん中の席で熱心にメモをとっているご高齢の方が気になって色部さんに伺ったら、色部さんの学生時代の恩師だという。幸せなことだなあと思った。色部さんにとっても、先生にとっても。

漢字と仮名のデザインを微調整する。最後は自分の目を頼りにするしかない。見なれた単語を組んでは直しして、可能なかぎり違和感を消していく。たとえば舌は、味覚だけでなく、髪の毛一本の混入を即座に感知する。では目はどうか。

自分がフォントを制作しているときの作業内容をつぶさに観察していると、思わぬところに手数をかけていることが分かる。文字がきちんと字面枠の中心に入っているかどうか確認する回数が意外に多く、ここは省力化したい部分である。夕方、日本デザインセンターの色部さんと「1文字から1万文字までの話」の打ち合わせ。主題中心の構成で進めることを確認した。連句的な展開になったら面白い。

午前は漢字のブラッシュアップ、午後からマシンのセットアップ、そのあとフォントのラストチェック、声に出したらラップだYO!

水上勉の『一休』と『良寛』を読む。濃密な筆致の『一休』と淡白なタッチの『良寛』。読みごたえは圧倒的に前者。いずれも時代が生んだ日本屈指の怪僧/快僧である。夜はボリューム満点のビビンバを食べる。

ひもすがら春の雨ふる。おやつに大学芋とレモンティー。唐木順三『良寛』味読。「古を慕い今を感じ心曲を労す」良寛『読永平録』

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