チラリと見る、印象が持続する

ドライバーズフォント

自動車メーカーにさまざまな機器を提供する大手サプライヤーである株式会社デンソー。そのデザイン部所属の梶田行宏氏はカーナビに表示される地図をより見やすいものへとデザインし直す必要性を感じていました。自動車の走行に応じてモニターには、さまざまな情報が浮かび上がっては消えていく。その分、文字やアイコンの置かれる状況は流動的で、従来のフォントとは「違う何か」を探っていました。

ドライバーのための新書体、それは究極の「チラ見」フォント

ドライバーの認知状況や身体感覚に根ざした自動車専用の書体をつくれないか、と考えた梶田氏から打診を受けたタイププロジェクトは共同で基礎研究を始めました。運転時に最優先されるのは安全性ですが、走行中、ドライバーは文字をきちんと読める状況に置かれているわけではなく、「拾い読み」したり、「チラ見」したりする程度。そのような状況にふさわしい文字とは何なのか。仮説・試作・検証の繰り返しは3年にもおよびました。初代バージョンでは、欧文と数字を中心に、走行状態によって変化する2種類の書体を公開しました。コンセプトはコンパクトな骨格と、メリハリのあるディテール。文字としてのバランスを考えた骨格を与えることに留意するとともに、 「チラ見」してもきっちりと印象に残るよう、細部の造形にはあえて強弱を与えたのです。

左は通常走行時の基本形となるアーバン・モード、右は高速走行時のエンスージアス・モードで使用される書体。アーバン・モードでは落ち着いた表情 を見せ、エンスージアス・モードでは文字の先端部が強調されたスタイルに変化する。

ドライバーズ・フォントを計器に搭載した実例。メータの変化に合わせて書体も変化する。写真は高速走行時の ボールドのエンスージアス・モード。

梶田氏は、ドライバーズ・フォントを単なる書体ではなく未来のインターフェースを構成する重要な要素と考えています。「課題を解決する最適な答えを導くには、文字を考えるだけでは不十分。 しかし、車室内のユーザーインターフェイスが取り組まなければならない課題に あえて文字を解決の糸口として提案することが、このプロジェクトの意義でもある。」

また、デザイン部長である伊藤義人氏は、「現在は、オーディオやカーナビなどの機能が飽和状態です。これらを一括で操るようなインターフェースができれば、 ドライバーズ・フォントの存在意義も高まるはず。この書体を使った自信作を、きちんと世に出したいと思っています」と開発の意義を説明しています。

ドライバーズ・フォントは、タイププロジェクト(コンセプト/書体制作)と、デンソー(コンセプト/ディレクション)の2社によって共同研究している。

コンパクトな骨格の優位性は、新ゴシック体(図版下)との比較でも明らかに。文字ごとに最適な文字幅を設定したドライバーズ・フォント(図版上)は、文字固有の特徴を生かすことで読みやすく、内部はくっきり明るく、それでいて全体的な省スペース化にも貢献できる。

インターフェースを疾走する文字

ドライバーズ・フォントには、カーナビなどのデバイスに最適化した条件も加味される必要がありました。すなわち、見たいときにはしっかり見えて、それ以外のときはしっとりと地に馴染むような「心地よい異質感」を持った文字であること。さらに小さくてもはっきりと読め、内部がつぶれずに明るく見え、漢字・かな・欧文・数字が混在しても、自然なまとまりを持って読める文字であること。そのためにウエイトを変えても字幅や行幅が一定に保たれるように配慮しました。

今や大半の制御が電子化されている自動車はデジタルフォントとの相性がよく、今まで以上に高解像度の液晶技術が一般化すれば、文字の精度に対する要請も増してくるでしょう。これからの自動車は、情報機能を満載した移動空間として進化するに違いありません。ドライバーズ・フォントは、自動車大国日本が世界に提案できる「新製品」となり得るかもしれないのです。

さらにドライバーズ・フォントは、自動車という枠組みにとどまらず「移動体としての人間」のためのフォントとしての進化を遂げる可能性をも含んでいます。インターフェースを疾走する文字。国内初の車載専用フォントであるドライバーズ・フォントの開発はこれからも続きます。

(AXIS誌 2008年12月号掲載記事を再編集して転載)