【メディア掲載】芸術新聞社「墨」

書道専門誌「墨」に掲載されたインタビュー記事、「タイプデザイナーが見る唐代の楷書」を掲載しています。

『墨』はひとつのテーマを特集に掲げ、じっくり掘り下げて伝える書道専門誌として1976年7月に創刊されました。名家名蹟の書、篆刻、文房四宝、臨書や作品制作のテクニックについてなど、幅広く「書」に関わる事柄が紹介され、書を愛する初心者から中上級者まで、誰もが書の喜びを見出せる記事が掲載されています。

タイプフェイスデザイナーが見る唐代の楷書

現代において文字をデザインしているタイプフェイスデザイナー(書体デザイナー)は、褚遂良の楷書をどのように受け止めているのでしょうか。デジタルコミュニケーションの時代にふさわしい明朝体を模索、開発している鈴木功氏に、褚遂良、さらには同じ唐代の欧陽詢、顔真卿などの楷書について、その魅力を語っていただきました。

文字の姿・欧陽詢と褚遂良

欧陽詢(おうようじゅん)の九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)は文字の整い方、結構の良さが最大の特色だと思います。文字の骨格や中心線のバランスなど、文字を小さくしても潰れないようにしてあって、とても奇麗に案配されているなと感心します。凍ったように美しいと言ってもよいのではないでしょうか。碑として遺された欧陽詢の文字を見ると、相当に整理されているという印象を持ちます。刻る人の腕前を感じるというか、本来の字から整理を施しているんじゃないかなと思うところもあります。

それに対して、欧陽詢から時代が少し下った褚遂良(ちょすいりょう)の雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)を初めて見た時、とても生き生きとした、瑞々しい書だなと思いました。右払いに強い特徴がありますね。筆を紙に強く押さえつけています。隷書から発展したような横画に、独特の払いのリズムやアクセントを見取りました。文字は比較的正確に石上に刻りつけられているのでしょうが、褚遂良の手の癖、手の味というものが感じられます。そういった意味では雁塔聖教序を書いた時の褚遂良は、字形の完成度ということにはあまりこだわらなかったんじゃないかという気もするんです。九成宮醴泉銘に比べてやや崩れているというか、バランスそのものも実はそれほど良くありません。雁塔聖教序からは九成宮醴泉銘の冷性を溶かすような自由さを感じます。

TP明朝。横組みで読みやすいこと、解像度の異なる多様なデバイスで使えることなどの条件を満たした次世代の明朝体。明朝体に縦画と横画の太さの比率を自在に変えられるコントラストの概念を導入した、初めての日本語フォント。

書家が見る字の見方と、書体デザイナー、タイプフェイスデザイナーの見る見方には共通している部分があると思います。僕達の業界では文字の線の太さを「ウェイト」という言葉で表しますが、このウェイトは大きな要所です。縦画と横画の太さの比率(コントラスト)も重視します。それから字形や字幅。長体なのか平体なのかということも大事です。大まかに、篆書は長体、隷書は平体というのが僕達の捉え方になりますが、全体として、目にしている対象がどういう作りになっているかに注目します。欧陽詢の楷書を例にとってみると、ものすごく懐の引き締まった、且つ抑揚が非常に大きな書体といえます。こうした見方は双方で共通しているのではないでしょうか。

最初に九成宮醴泉銘を「整理されている」と言いましたが、この「整理」というのが、書体デザイナーが字をかたちづくっていくときの意識に近い気がします。僕達タイプフェイスデザイナーは文字をデザインする際、文字を「筆で書く」対象というよりは、平面上に写し取られた、二次元としてのかたちあるものとして観察します。文字をどうやって典型化するか、様式化するか、というようなことを緻密に行うのが僕達の仕事です。

顔真卿の裡にのぞく褚遂良

個人的に、僕は顔真卿(がんしんけい)の楷書がとても好きです。欧陽詢と褚遂良から百年以上も時代が下った彼の字はどうかといえば、晩年作の顔氏家廟碑(がんしかびょうひ)では力強い点画が強烈です。独特なのは、ハネと終筆の右払いの部分。相当に意図的で、そんなものは「新しい文字のかたちを作るぞ」っていう強い意識がないと出て来ない気がします。でも一方で、彼に褚遂良の影響が見える。若い頃の多宝塔碑(たほうとうひ)は既に顔真卿らしさが濃厚ですが、実は褚遂良のエッセンスが見え隠れしています。これが非常に興味深い。顔真卿は褚遂良の書を相当に見ている。楷書は一旦、欧陽詢の九成宮醴泉銘で行き止まりというほどの完成度を見せますが、そこに褚遂良が登場したことで、仕上がっていた楷書にもう一度息が吹き込まれたと思うのです。後世への影響を感じるにつけても、褚遂良にはそれくらいの大きな役割があったのだと思います。

「拓本って何で欲しくなるかっていうと、本当に生々しくて激しいからなんですよね。無意識にぱっと見た時、凄く新鮮な表情をするんですよ。千年の時を経ても生々しい芸術作品って他にはそんなにない気がします」

今の時代の文字

個人的に、僕は顔真卿(がんしんけい)の楷書がとても好きです。欧陽詢と褚遂良から百年以上も時代が下った彼の字はどうかといえば、晩年作の顔氏家廟碑(がんしかびょうひ)では力強い点画が強烈です。独特なのは、ハネと終筆の右払いの部分。相当に意図的で、そんなものは「新しい文字のかたちを作るぞ」っていう強い意識がないと出て来ない気がします。でも一方で、彼に褚遂良の影響が見える。若い頃の多宝塔碑(たほうとうひ)は既に顔真卿らしさが濃厚ですが、実は褚遂良のエッセンスが見え隠れしています。これが非常に興味深い。顔真卿は褚遂良の書を相当に見ている。楷書は一旦、欧陽詢の九成宮醴泉銘で行き止まりというほどの完成度を見せますが、そこに褚遂良が登場したことで、仕上がっていた楷書にもう一度息が吹き込まれたと思うのです。後世への影響を感じるにつけても、褚遂良にはそれくらいの大きな役割があったのだと思います。