対談「こぼれ話」good design company 水野学氏

明朝体はどこへ行くのか?

中国で開催されたコンテストの審査員として面識のあったふたり、クリエイティブ・ディレクターの水野学氏とタイププロジェクトの鈴木功。書体とデザインをテーマとした対談から、2015年4月15日号のPen誌の記事に収録されなかった部分を紹介します。

横組みのほうが難しいのは当たり前

水野:鈴木さんが「今はSNSで文字を見ることが多くて、そのほとんどがゴシック体。PCで見るのに似合う明朝体が欲しいと思った」と書かれていたのを読んで、本当にそうだなあと思いました。ホームページ制作では、デフォルトのフォントで作っていくと味気ないものにしかならない。そこで明朝体を使って変化をつけようとしても、コントラストが強すぎると細いところが見えなくなったりして苦労していました。だから、TP明朝の話は目からウロコでした。

鈴木:デザイナーさんたちは文字を無意識に選んでいる場面と、意識して選んでいる場面があると思いますが、明朝体はデジタルディスプレイの中で、無意識に避けられてきたような気がしています。それは非常に問題だと思いました。明朝体が古いとか、かっこ悪い、使いづらいという意識的な判断なら仕方がない。時代がそうならと、受け止めることができる。しかし、書体の作り手も含めて、あまり深く考えることなく否定していたのではないか。もちろん解像度という技術的な制約があり、ビットマップでは明朝体を再現しにくいのでゴシック体を選んだといった事情はあるにせよ、ディスプレイで明朝体が使われていない原因の半分くらいは、我々書体の作り手側にあるのではないかと思っています。僕自身も10年くらい前には、明朝体はすでにたくさんあったということもあり、自分で作る理由が見いだせませんでした。

水野:16年くらい前、僕が写植を使っていた頃は縦組みが多かった。版下で組んだもの、とくに新聞原稿などはほとんど縦組みでした。雑誌とかポスターに横組みがあったくらい。横組みのほうが難しくて、何度も上司にやり直しをさせられていました(笑)

鈴木:難しいのは当たり前なんです。書体が縦組み用に設計されていますから。縦のものを無理やり横にする感じですよね。日本語の書体は、金属活字の時代から基本的に正方形の枠内で文字をデザインしてそれを縦に並べるという前提で作られていて、その伝統が、今のデジタルフォントに大きな影響を与えている。確かにそれは合理的なシステムだし日本語フォントの面白さでもあるのですが、デジタルディスプレイでどうやって読みやすい文字を提供するかということを考えたときに、横組み専用の文字を作らなきゃいけないと思いました。

水野:あのときにそのフォントがあったら、あんなにやり直しをさせられずに済んだのですね(笑)

鈴木:そういう場面が増えたら冥利です。そうなってほしいなと思ってTP明朝を作りました。

水野:20年近くやっている僕でも、明朝体の横組みでは迷うことがあります。「この字は少し上げたほうがいいかな、下げたほうがいいかな」とか、0.01の単位でカーニングしてもしっくりこないとか。改めて考えてみると縦組みのほうが楽でした。明朝体は、そもそも横組みということを突き詰めて作られてこなかったということですね。

鈴木:とくに「ひらがな」は、縦に書いていくときに漢字をくずしてできたものなので、その存在自体が完全に縦書によっているわけです。縦で書いたときに流れやすく、心地よく、美しくというところで筆の脈絡がうまれて、それがひらがなの存在証明や命綱のようなものになっているのですが、横に組んだ時にはその命綱をいったん切らなければならない。どうやって横に組んだときのひらがなをきれいに読みやすく見せるか、というのが最大のチャレンジでした。TP明朝がそれをうまく成し遂げているかどうかは、これから判断されていくところだと思っています。

水野:そういえば、明朝体で住所を組むとき、郵便番号のマークが困るんですよね。かなにあわせてどこを細くするか太くするか迷って、自分で作ってしまうことが多いんです。まさに横組みについてまわる問題を日々感じていたにもかかわらず、テーブルの上に乗せ議論することはしていなかったですね。

これほど文字があふれた時代はないかもしれない

鈴木:木を彫って作られた宋朝体という書体が、現在目にしている明朝体の原型になっています。宋朝体では右上りだったものが水平になり、筆をおさえたところを三角形するなど、時代の求めた合理性や美意識を反映して、明朝体のスタイルが完成しました。TP明朝は、横画から縦画につながる角ウロコが特徴的です。ウロコは右に視線をひっぱっていく矢印の役目も果たしていると思うのですが、今の時代にウロコが大きくて目立ち過ぎるんじゃないか、ここまで派手な飾り付けが必要なのかと考えて小さくしました。

水野:ウロコの部分が大きいと、視線が戸惑ってしまって右のほうが重く感じてますね。和文のゴシックはいつ頃にできたのですか?

鈴木:明治期に活版印刷技術が浸透していったなかで、広告の見出しや本文中の強調したい部分に太字のゴシック体が使われるようになったのが始まりです。

水野:アルファベットのサンセリフに呼応してできたわけではないんですね。欧文ではそのころセリフ書体がメインで、サンセリフはグロテスクつまり気持ち悪いという名前を付けられていましたよね。

鈴木:欧文の影響もあったかもしれません。もともと目を引くための書体だったはずが、今では本文でゴシック体が使われて、大きく目立つところで明朝体が使われるという逆転現象が起きています。

水野:文字もそうですが言葉も変化していきますよね。たとえば「ら」抜きは、話し言葉ならともかく文章では避けるべきだと思うのですが、今の若い人たちは「ら」が入っていると変に見えるという。言語も文字も、最新が一番ということなんでしょうね。

鈴木:以前は言葉が先行して、文字はその言葉を盛り付ける器という関係だったのが、今はSNSなどのおかげで同時発生的になっていますよね。リアルタイムに言葉が視覚化されて、フォントで表現される。言葉が変化して新しいものに変わっていくときにフォントもついていかないと、そこにギャップが生まれて言葉と文字の一体感が失われてしまう。それが書体を開発する側からすると面白いところで、時代の速度感や言葉の移り変わりに対して、敏感になっていかなければならないと思っています。

水野:音の文字、つまり言葉が減っていっている分、世界的に使われている文字の量は、おそらく爆発的に増えていますよね。これほど文字があふれた時代はないかもしれない。

鈴木:手で書かなくなってきていることをどう考えるか、というのも大きなテーマです。書かなくなったことをフォントが埋め合わせをしていますよね。今まで書かれていた文字はどこに消えたかというと、パソコンやスマートフォンの中に吸収されちゃっている。手書きのいきいきとした文字がこれからどうなっていくのか。書体開発における重要な課題のひとつです。

鈴木功×水野学氏 Pen対談
“書体”が果たす、デザインの役割とは。

「鈴木さんがデザインしたTP明朝も、はっきりしたイメージがありますよね。少しかしこまっていて、真面目で、でも硬すぎない、いいヤツ、という感じでしょうか?」(水野氏)

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